【自分回帰の旅・大阪編】母と子、親子水入らずで過ごす大阪の夜。

GOジブンイロ

※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています。

前回のブログから少し空いているのですが、その間、地元大阪にと帰省していました。

大阪は梅雨入りして滞在中晴れたり雨模様の不安定な天気ではございましたが、一年ぶりの地元ということで

今回の旅の様子や目的をお伝えしていきますね。

目次

・那覇空港から関空まで

JTA日本トランスオーシャン航空

今回の航空券はJALのスマイルキャンペーンで往復チケットを取っていて、プロモーション価格だったので全て込みの料金で¥14,560-。普段私は伊丹空港着で大阪へ行くときには選択するのですが、既に席は埋まっていたので、今回は久しぶりの関空利用となりました。 

宿泊先は実家に寄らず、ほぼ大阪市内のキタエリア。伊丹着だと市内まででるのがとてもスムーズで時間の節約にもなるので。

伊丹発リムジンバスー梅田新阪急ホテル   650円 所要時間 約30分
関空発ー大阪駅前             1600円 所要時間 約60分

往復を考えると結構な料金になりますよね。

けれども、私そもそも空港の雰囲気好きなので、行き交う人の流れや、ショップなど見るのも楽しいので移動が面倒かな、と思う程度。沖縄は梅雨明けで快晴、飛行機もとても綺麗に青空に映えていました。

・大都市の雑踏にわくわく

大阪のみどりのくまさん

リムジンから見えたグランフロント大阪の、みどりのくまさん。大きなアート作品、背後だけバスから見えたのですがフランスの現代美術家の作品だそうです。前回来たときあったけ?

大阪駅周辺もどんどんと近代的に変化していってますね。

水都大阪と言いますが、美術館も多いのでアートの街としても発展していきそうですね。

今回滞在の梅田駅周辺のホテルに向かう道中、住み慣れていたハズの街だというのに何度来ても、目に映るものが新鮮で、人の流れや街の移り変わりや目新しいショップなどに目を奪われながらホテルに向かいました。

阪急百貨店周辺

この日は快晴の大阪だったので阪急百貨店周辺のビル群の窓が青空に反射して、思わず写真撮りたくなりました。

ちなみに、大阪マルビルは老朽化などの影響で建て替えということで馴染みのある建物が無くなるのは寂しいような。

沖縄北谷町のランドマーク観覧車も取り壊されましたからね。

大阪のタコ焼き

ザ・大阪!的な食べ物。タコ焼き。

まだホテルに着いていないというのにたこ焼き屋さんに立ち寄ってしまいました。好きすぎて。

大阪に戻ると決まって食べるもののうちのひとつ。毎回のルーティンです。モチモチふんわり熱々がたまらない!

「たこ焼きで多幸感に浸る大阪の夏。」

・大阪駅から電車で小旅行気分

ホテルで少しタコ焼きをつつきながら休憩して身支度した後、大阪駅から地元へとJRで京都方面にと向かいます。

ちなみに、大阪から京都方面、JRと阪急電車の選択肢があるのだけれど、今回はJRで。

もう、新快速乗ったらアッという間なんですけどね。

それでも乗ったことないけれども沖縄にはモノレールしかないので、久しぶりの電車移動にわくわく。

切符どうやって買うんだったけ?

JR車内、座れたのでとても楽に地元のある駅まで向かえました。

梅田に着いたとたんあちらこちらから関西弁が聞こえてくるのも、帰省したのだと実感。しかも特に注意深く聞いてるわけでもないのに笑える。さすが、大阪。たとえるなら懐かしさもある笑い。

・自分回帰の旅

サテ、今回のブログのメイン。

今回の旅のテーマは【自分回帰】。

50歳になってから、昔住んでいた場所やその当時のことを回想したりするんですね。

実に実家のある地元に戻ってくるのは数年ぶりでして、実家に最後に戻ったのは確か、沖縄移住する前!約10年間も私は離れているので、父とも疎遠になっていたのです。

私が大好きな昭和の朝ドラ「おしん」でも、これまでの激動の人生を振り返るところから物語がスタートするのですが、山形の農村で生まれ、後にスーパー経営を多店舗展開していくという、幼少時代から、中年期、そして晩年までの明治から戦時中、そして昭和にかけて壮大な人生のドラマは、生きる強さやたくましさがあり、大人になってから見るとさらに力が湧いてくる、サクセスストーリーと簡単に言えない深さのあるドラマなんです。興味があるかたはU-nextにて視聴可能です。

・数年ぶりに地元のある街へ。

母とは事前に地元の駅前で会って食事しようと約束していて、今回父とも珍しく会う予定になっていたのでした。いつ往生するかわからないしね、という理由で。

私と父は前述通り10年ほど会っておらず、その間、電話で何度か会話した程度。

確か最後の会話は電話越しに「なんで犬なんか飼うねん!」と、犬が苦手な父に怒られたのであまり気持ちの良いものでは無く、

今に至るので今回はまさかの再会になる予定で話を進めていたのです。

私は16歳の時に実家を離れ、大阪市内の森ノ宮という駅がある東成区で一人暮らしを始めました。しかも住み込みで。

ちなみに、森ノ宮は大阪城が近くにあるJR環状線の駅となっています。

大阪城

小学生高学年の時期ぐらいから、実家から離れたかった私は、離れたい一心で、どうやったらここから出れるのだろう?とか、どうしたらお金を稼げるのだろうなどと考えたりするような子供で、小学生のときに、新聞配達店に直接言って聞いてみると大人になってから来てと言われ、まだインターネット普及の時代では無かったので新聞広告の求人募集などを見ては、何か仕事ないかなぁとか、探したりしてました。

中学生でも稼げるのは漫画家だ!と思い少女漫画家を目指し『なかよし』や『別冊マーガレット』に投稿していた時期もあったり、ニューハーフのショーのお店で働けるかと、電話したこともあります。怖さでワンギリしてしまいましたが(笑)ごめんなさい。

アイドルになりたかった時代もあるのです。しかも女性アイドル歌手!当時の昭和の時代ではほぼ無謀な夢(笑)

町内会のカラオケ大会にも出場しました。歌唱した曲は、なぜか大川栄策「さざんかの宿」その翌年は郷ひろみ「2億4千万の瞳」すっごい矛盾!

歌唱中、同級生も見ていたようで後から話を聞くとその子から「あいつ、お釜やねんで」と言われてたようです。

男性歌手の選曲をしたにもかかわらず(笑)

小学生のある時には、親子で出かけていた河川敷の向こう岸から、同級生Aが叫んでいるのです。

「オカマー!!!」と、でかでかと声を大にして。家族の前で。

そして、その日の夕食時に父がぼそっと私に尋ねたのです。

「お前、オカマなんか?」

その日の食卓は、いつもにも増して暗く静かなものだった記憶が残っています。

そして、中学校卒業と同時に春休みを利用して近くのお弁当屋さんと居酒屋でかけもちバイトを始めたのです。

実家がある街から私は出たかったのです!

オカマ扱いされない誰も知らない街にとにかく行きたかったのです。

人生の話を含むのと長くなってしまったので、次回に続けますね。

続きはコチラから。

▼今回の記事が気に入っていただけたらクリックしていただけると励みになります▼

沖縄ランキング
GOジブンイロ

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

シェアしていただけるととっても励みになります!!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次